第二次上田合戦までの話(1):直江状
さて、ここからは第一次上田合戦と、第二次上田合戦の間のお話です。
この間、世の中がどうなっていったのかをザックリ説明してみます。
- 本能寺の変で信長が表舞台から去る
- 豊臣秀吉が明智光秀を討伐し、天下統一に向けて駒を進める
- 対立していた徳川家と真田家の和睦を、秀吉が仲介する
- この和睦に際して、真田信幸(昌幸の長男)と本多忠勝(徳川家臣)の娘に婚姻関係を結ばせる
- 秀吉が天下統一
真田家からしてみれば、今まで散々、徳川家と揉めていたので、和睦に対しては不服なところもあったみたいですが、天下人である秀吉に逆らえるわけもなく、この和睦を容認したそうです。
なお、この和睦以降、信幸は徳川寄りになり、昌幸・幸村は豊臣・上杉寄りになります。
さらにその後、
- 天下を統一した秀吉がこの世を去る
- みんなで「豊臣家を盛り上げようぜ!」と言っている傍ら、徳川家康は寝技・力技のオンパレードで豊臣派を懐柔し、徳川派閥を形成する
- これを良く思わない上杉景勝(豊臣派)が兵を揃え始める
- それを知った徳川家康は「上杉景勝が豊臣家に謀反を起こそうとしている」と言い掛かりをつける(お前が言うな状態)
- そこで家康は「謀反を起こすつもりがないのであれば、誓紙を持って私のところに来なさい、さもなくば謀反とみなす」と上杉家に使者を出す
今回は、ここらへんの話を少ししたいと思います。
前述の通り、家康は上杉家に「誓紙」の要求をします。
これ、ずるいですよね。誓紙を出さないと「豊臣に仇をなす者」扱い出来るし、誓紙を出せば「上杉家は徳川家に屈した」ということに出来る。どう返信しても負けてしまう。
ここで出てくるのが「直江状」です。
徳川からの誓紙提出の要請に対して、上杉景勝の腹心であった直江兼続名義で、こういう返書が家康に届けられます。
「・・・うわさによれば、わずか三里をへだてた京と伏見の間にさえ、さまざまな浮説流言がおこなわれていると聞きおよび申した。大阪と会津ほど、はるばると遠くはなれていては、徳川公の御耳へ、われらに謀叛の企てがあるとの流言が入ったとしてもふしぎではござるまい。
家康公は誓紙をよこせといわれるが、そもそも、わずか一年前に、亡き太閤殿下へ差し出した誓紙を反古になされ、諸大名と婚姻をむすんだは家康公御自身ではないのか。まことにもって、これは笑止千万なことではござらぬか」
そして、鋭く、
「わが上杉景勝には、いささかも謀叛のこころがないのに、いちいち、これをうたがい、何かと申さば大阪へ出てまいれといわれるる家康公こそ、われらには怪しくおもわれる。つまらぬ者が申し立てたことを真におもわれ、何事にもわれらのみを責めらるる家康公は、申さるることと為すことに表と裏がある、としかおもわれませぬ」
「いまは、なまけ者の上方武士が、高価な茶の湯の道具をあつめたりして悦に入っているそうでござるが、われら田舎武士は、いつの世にも武家の本道をわきまえ、武器をととのえ、人材をあつめることは当然のこととおもうております。
これは、その国々の風習が、それぞれに異なっているのと同様で、世間がさわぎ立てるのがむしろ可笑しい。武士が為すべきことをしているのに、それがふしぎだと申される。いやはや、天下も変わったものでござる。これも天下が、ふしぎなものになってきたからで、上杉景勝ごときが武器をあつめたところで、何程のことがありましょうか。
天下の仕置きをなさろうという徳川家康公にも似合わぬ、ふしぎな詰問でござる」
そして、「もはや千言万語は、不要のことでござる」と締めくくっています。
直江の返書を破り捨てた徳川家康は、ようやく怒りの色がさめた後に、
「さてもさても・・・わしは今年で五十九歳にもなるが、このように無礼な書状を、かつて見たこともない」
憮然として、つぶやいたという。
真偽のほどはともかく、こういう様々なイベント経て、
というのが、秀吉没から関ヶ原までの大まかな流れです。
さて、この合戦に際し、各大名は選択を迫られます。
というのも、石田三成・上杉景勝は「徳川家康は豊臣家を滅ぼそうとしている!」と言っている。
一方で、徳川家康は「石田と上杉は豊臣家を私物化しようとしている!」と言っている。
両者とも「豊臣家のためだ!」と言う点は変わらないのに、お互いのことを悪く言っているだけ。どっちも豊臣家のためなのであれば、仲良く折り合いつけろよな・・・と、きっとみんな思ったことでしょう。
とは言え、各大名は、徳川派か石田・上杉派のどちらかを選ばなければならなくなったわけです。
単に「石田三成が嫌いだから徳川家!」という人もいれば「徳川家康は確実に豊臣家を乗っ取ろうとしているから、俺は反徳川」という人もいるし、「どっちもどっちなんだよなあ」という人もいる。もう色々と混沌としています。
さて、そんな中、真田家はどちらにつくのか。
次回はそこらへんの真田家のやり取りについて説明してみたいと思います。
(続く)