第二次上田合戦までの話(2):犬伏の別れ
前回までの3行サマリー
- 豊臣秀吉が天下統一
- 秀吉逝去後の天下運営を誰がやるかで揉める
- 各大名、徳川派か反徳川派、どっちにつくかで悩む(悩まない人たちもいたけど)
ということを踏まえ、真田家は徳川と反徳川、どっちの勢力についたか、という話です。結論を先に言うと「両方」です。
話が長くなるので割愛しますが、色々とアレがあって、真田昌幸・信幸・幸村は犬伏というところで落ち合います。
ちょっと長いですがご容赦ください。
「おお、豆州殿。御苦労であった」
真田昌幸は、にこやかに、長男を迎えた。
「父上には、御健勝にて・・・」
「左衛門佐。酒がほしいのう」
幸村が信幸の背後で、
「ただいま、佐平次にいいつけまいてござる」
「まず、父上より・・・」
と、信幸が、昌幸の盃へ酌をした。
ついで、信幸の盃へ幸村が酌をし、つぎに幸村の盃へ信幸が酌をしてやった。
このさまを、安房守昌幸が凝と見つめて、
「これが、別れの盃にならねばよいが・・・」
だれにいうともなく、つぶやくようにいった。
ここからは三人で酒を酌み交わします。
が、団欒するために集まったわけではありません。
真田家が徳川につくのか、反徳川につくのか、これを決めるために集まっているのです。
その中で、
伊豆守信幸の、あくまでも徳川家康に従って今度の大事を切りぬけようとする決意は、その静穏な顔の色にはっきりと看て取れた。
また、父・昌幸が、上杉景勝と石田三成に与して戦おうとする決意も、このときは、もはや、
「うごかしがたい・・・」
までになっていたのである。
真田昌幸の唇がうごいたのは、このときである。
「豆州。徳川が勝てば、大事じゃぞ。大阪が、もみ潰されてしまうぞよ」
「そもそも、こたびの戦は、豊臣家をもみ潰さんがため、内府が仕掛けたものではないか、どうじゃ」
信幸は、こたえなかった。
「家康を残すのと、三成を残すのと、どちらが豊臣家の御為になる。わかりきったことじゃ。三成なればわがままは通るまいゆえ・・・」
「父上・・・」
「うむ?」
「豊臣家の御為と申すより、どちらが天下の為になりましょうか?」
「天下じゃと・・・」
「父上は、これより先、ふたたび天下取りの戦乱が相つづくことを、のぞんでおられますか?」
昌幸が、にやりと笑った。
「父上・・・」
「もう、よいわ。豆州、これで決まったのう」
「はい」
「内府は、さて、勝てるかな・・・?」
「かならず、勝ちをおさめられましょう」
「父上。では、これにて・・・」
「もう、行くか」
「はい」
「何も申すまい。おもうままにいたせ」
「かたじけのうござる」
「行くがよい」
「は・・・」
「左衛門佐。父上を、たのむ」
「心得ております」
その短い一語一語と、見かわす眼と眼によって、兄弟は、すべてを語り合っていたといってよい。
これが、かの有名な「犬伏の別れ」というやつです。
なんか、こう、グッとくるものがありますね。
なお、この場面を文字で起こしておきながらなんですが、大河ドラマ「真田太平記」がとても分かりやすいです。
ちなみに、ここで幸村を演じているのは、草刈正雄。
そう、真田丸で昌幸を演じた人です(10分30秒あたり)。
真田丸のキャストが発表されたとき、超絶興奮してました。
というわけで、昌幸・幸村は石田・上杉に、信幸は徳川につくということが決まりました。
なお、この時点で真田家は、正式には徳川配下にいたのですが、このタイミングで、こっそりと、しれっと上田城に戻ってしまいます。明言はしていないものの、反徳川になったということは徳川方にもしかと伝わったようです。
さて、ここからはいよいよ関ヶ原に向けて色々なことが動き出します。
次回は、その大きなウネリの中で、真田家がどうなっていったかを説明していきたいと思います。
(続く)