真田太平記をなぞる

なぞりながら解説

第二次上田合戦(2):割と地味な戦い

前回までの3行サマリー。

 

  • 徳川軍が上田城近くに到着、幸村が布陣していた伊勢山城を攻める
  • 幸村は伊勢山城を無血開城
  • 真田軍の残る拠点は上田城のみとなった

 

というわけで、改めて布陣を確認しましょう。想像ですが、大体こんな感じです。

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伊勢山も抑えたので、あとは上田城だけ気にしておけば良い状態です。

 

ただ、改めてですが、徳川秀忠のゴールは、上田城を陥落することではありません。

真田家が余計なことをしないように牽制しつつ、秀忠が予定通り徳川家康の本陣に合流することがゴールなのです。こんなところでチンタラ城攻めなんかしてる場合じゃありません。

 

ということもあり、

徳川秀忠は、後見の本多正信に計り、伊勢山城へ精鋭部隊を残し、上田城を押さえさせ、みずからは第二軍をひきい、父・家康の本陣へ一日も早く合流することにした。

徳川秀忠は、九月七日の朝に上田攻めの本陣を引きはらい、木曾路から美濃へ出て、父・家康の本陣と合流することにした。

以下が「予定」していたルート。

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秀忠は、上田の本陣を発つことを家康へ知らせるため、六日の早朝に急使を出発せしめた。

その急使が出て行って間もなくのことだ。

秀忠本陣がある染屋の台地の西方の、依田肥前守の陣地の近くへ、朝霧にまぎれて、真田の偵察隊があらわれたのである。

 

この、依田肥前守がどこに配置されていたのか、真田太平記では説明がなく、さっぱり分からないのですが、多分、こういう感じです。異論は認めます(というか、誰か教えて)。

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これを発見した依田部隊が、

「それ!」

すぐさま、発砲をした。

すると、真田方も負けじと鉄砲を撃ちかけてくるではないか。

単なる偵察隊ともおもえぬ。

依田肥前守は、

「小癪な。追い散らしてしまえ!」

猛然と、打って出た。

すると・・・。

真田の一隊は、あわてふためき、逃走をはじめた。

 

ここからは、依田部隊と真田の偵察隊の小競り合いが続きます。

そのうち、徳川の武将たちも加わり始め、劣勢となった真田軍が退却を始めます。

これを見た大久保忠隣(相模・小田原城主)、酒井家次(下総・碓井城主)など、徳川家生えぬきの武将たちも、

「いまこそ!」

とばかり、追撃に加わった。

押し捲くり、突き進む猛烈な攻撃に、真田勢も、

「たまりかねた・・・」

かたちとなって、上田城・大手口の街路の近くまで引き退りはじめた。

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ちょうど、そのときである。

秀忠本陣の北方の低い山蔭から、突如、真田の鉄砲隊があらわれ、本陣へ一斉射撃をおこなった。

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上図も完全に想像です。

最早、徳川秀忠がどこに布陣していたのかも明確に分からないので、真田の鉄砲隊がどこに隠れていたのかも分かりませんし、「山蔭ってどこだよ、ねーよ、そんなもん」と思いながら書いています。正確性に欠けると思いますが、そこらへんは大体の雰囲気で感じとってください。

 

さて、この銃声を聞いて、徳川の諸将は、本陣の救援に戻るべきか、このまま真田家を追撃するか、一瞬迷います。

 

一方で、

秀忠本陣から聞こえる銃声は、逃げる真田勢の耳へも入った。

それを合図にでもしたかのように、真田勢は、おどろくべき速さで上田城の大手門へ逃げた。

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門の扉が八文字に開かれ、逃走する兵を収容しはじめた。
 これを目の前に見ては、

「追わぬわけにはまいらぬ・・・」ではないか。

「かまわぬ。攻めこめ!」

雪崩のように、徳川勢が押し進んだ。

大手門の扉は、まだ開いたままで、逃げ込む兵を迎え入れつつある。

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大手門へ肉迫した徳川勢は、勝ち誇っていたというよりも、あまりにも円滑に城門前へ攻め寄せることができたので、おもわず、

「我を忘れた・・・」

かたちとなったのであろう。

十五年前の上田攻めの、城頭の激戦では、押し詰めた徳川勢が石垣を這いのぼろうとすると、その頭上からおびただしい石塊と樹木が落下してきて、将兵を打ち叩いた。

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だが、いまは大手門前の「はね橋」も捲きあげられていない。

その橋を、真田の兵士が逃げ渡りつつあるのだ。

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「この機を逃してはならぬ!」

牧野部隊の旗奉行・贄掃部と、大久保部隊の、これも旗奉行をつとめる杉浦久勝が、

「攻め込め!」

「後るるな!」

真っ先に、押し詰めて行った。

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その瞬間であった。

大手門の櫓のあたりから、突如、狼煙が打ち上げられた。

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贄も杉浦も、はっとおもったろう。

これまでの真田方の奇襲作戦を想えば、この狼煙を無視することはできない。

そもそも、いまこのとき、大手門で狼煙を打ちあげる意味がわからぬ。

そのとき、逃げ走っていた、真田勢が、狼煙を合図に颯と散開した。

〔はね橋〕の向こうに、大手門が口を開けている。

そこから、真田左衛門佐幸村が一隊をひきいてあらわれた。

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同時に、城塁の上から鉄砲の一斉射撃が起こり、無数の矢が疾り出た。

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〔はね橋〕へ、いま一歩というところまで押し寄せた徳川勢が、将棋倒しのかたちで撃ち倒された。

贄と杉浦が、

「しまった!」

「退け、退けい!」

叫んだときには、もう、遅かった。

〔はね橋〕を走りわたった馬上の真田幸村が槍を構え、手勢と共に徳川勢へ突入した。

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この日、幸村は伊代札の黒糸縅胴丸の具足に身を固めている。草摺には金箔で六文銭の家紋が捺してあった。

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この具足は、父・昌幸が十五年前の上田攻めの折に使用したもので、後に、幸村が、

「ぜひとも・・・」

と、父にねだって、もらい受けたものであった。

 

ここから、真田軍が一気に攻撃を仕掛けます。

突き捲り、叩き伏せ、鬼神のように荒れまくる真田幸村と共に、出撃した新手が縦横にはたらき、押し包むかとおもえば突入し、突入したかとおもうと散開する。

そのうちに、大手口の町屋の三方から火の手があがった。

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これは、わざと残して置いた木材などへ、迂回して来た真田勢が火を放ったのである。

徳川の戦士を乗せた馬は、燃え上がる炎と煙に脅えて狂奔した。

浮き足立った徳川勢は、火煙をくぐり、必死に逃走しはじめた。

そこへ・・・。

今度は、秀忠本陣を襲った鉄砲隊が、これも迂回して引きあげて来て、

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「撃て!」

射撃を開始した。

この鉄砲隊などは、二十余名ほどのものにすぎない。

それが、こうしたときには何倍もの鉄砲に感じられる。

 

さて、ここから真田軍が徳川軍をメッタメタにするのかと思いきや、

真田幸村は、徳川勢を大手口の町屋の彼方へ追い退けるや、

「引けい!」

敏速に兵をまとめ、城内へ引き戻った。

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以上です。 

ここまでが第二次上田合戦です。

 

なんか、あれですよね、第一次上田合戦に比べるとあっけないというか、派手さに欠けますよね。

ただ、真田家の目的は、鮮やかに勝つことではなく、秀忠を上田に足止めさせ、家康本陣と合流させないこと。そういう意味では、本来の目的はパーフェクトに果たせたわけです。

あっけなくて良いんです。

 

さて、真田家の役割としてはここまでです。

となると、気になるのは、その後の徳川秀忠軍の動きです。

次回はそこらへんを説明したいと思います。

 

(続く)

 

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