(ついでのお話)砥石城と真田温泉について
本編とはあまり関係が無いのですが、砥石城に行った話をしてみたいと思います。
まず、なぜ砥石城に登ろうと思ったのか。
当時、ここは物見台として使われていたはずです。
その物見台から物見をしてみたら、どのぐらい物が見えるのかを確認したかったのです。
さて、登山をするべく、上田市内からバスに乗り、砥石城近くのバス停で降ります。
そこから15分程歩き、砥石城の麓まで行きます。
すると、こういう石碑が出てきます。
なんでしょう、なめているわけではないんですが、ちょっとイラッとします。
宝くじ助成事業にチクろうかと思ってしまいます。
さて、その「なめんなよ!」がどんなものかと言うと・・・なんだよ、楽勝じゃねーかよ。
もう、なんなら爽快だよ。
と、思ったのも束の間、ロープに捕まりながら登るという、ガチ目なアトラクション系のやつが出てきたり、
もはや、遭難したんじゃないかと思うぐらいの道を進んだり、
「この階段、さっきも登ったよね?デジャブかな?」と錯覚するぐらいの階段を延々と登り続け、
ようやく山頂に辿り着きます。
もう、本当に超絶ハードな道のりでした。正直、なめてました。
石碑にイラッとしてしまったこと、宝くじ助成事業にチクろうと思ったことを、この場を借りてお詫び申し上げます。
さて、山頂から南向きに眺めるとこういう景色が広がります。
物見台から見える範囲としてこんな感じでしょうか。
仮に敵が進軍してきたとして、青色の部分はハッキリと見渡せます。
ただ、砥石城から見て、途中の山が邪魔をしているため、下図のオレンジ部分は見えませんでした。
第一次・第二次上田合戦共に、徳川軍が南東から攻めてきたことを考えると、このオレンジ部分が見えないのは、物見台としては致命的です。
となると、多分、下図の通り、他の物見台があったと推測されます。
つまり、砥石城は「物見台」としては部分的な役目しか果たしていない、むしろ「北と東を抑えるための防衛拠点」という役目の方が強かったのかな?と思われます。
ということを実感するために砥石城に登ったわけで、これで当初目的を果たすことが出来ました。
なお、「砥石城からは見えない箇所があることを確認出来た達成感」よりも、「登山による疲労と後悔」の方が大きかったことだけは付記しておきます。
もう二度と登ることは無いでしょう。
さて、話は変わりますが、登山と同じぐらい大変な下山の後、真田温泉へ行ってみました。
「真田家の人たち、ここらへんの温泉入っていたらしいよ!」みたいなことがどこかで紹介されていたので、真田家ゆかりの何かがあるのかと思っていたのですが、そういうのは一切無かったです。ごく普通の温泉施設でした。
ただ、受付で買った手ぬぐいに真田家の家紋(六文銭じゃなくて結び雁金の方)が入っていたのにはテンション上がりましたね。超かっこいい。
もし、温泉でこの手ぬぐいを持ってドヤ顔しているバカがいたら、それは私です。
見かけたら、どうぞ、声はかけずに生ぬるく見守ってやってください。
以上、ついでのお話しでした。