真田太平記をなぞる

なぞりながら解説

第二次上田合戦までの話(4):上田城の開城交渉

前回までの3行サマリ。

  • 秀忠の三万八千の軍が、中山道経由で絶賛西上中
  • 道中に真田家がいるな。本当は無視して通り過ぎたいけど、放っておくと後々何か問題あるかも・・・
  • よし、真田信幸たちに上田城の明け渡しの交渉をやらせよう!

 

ということで、まずは秀忠軍が上田近くの小諸まで移動します。

九月二日。

徳川秀忠の第二軍は、信州・小諸に到着した。

小諸から上田までは、五里ほどの近距離である。 

 

大体こんな感じです。

前回の第一次上田合戦で出てきた八重原の位置も参考までに載せておきます。

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ここで、秀忠は、上田城の真田父子に向けて、

「開城せよ」

との使者を、さしむけることになった。

その正使・副使は、本多忠政と真田信幸に決まっている。

そこで、忠政と信幸は、三十余騎に護られ、上田領内へおもむいた。

信幸は、父・昌幸へ、

徳川秀忠公よりの御言葉をおつたえしたい。何とぞ、国分寺までお出向きありたし」

「おお、さようか・・・」

真田昌幸は、にこやかに、

「よし、よし。明日、わしが国分寺にまいろう」

 

ということで、両者が国分寺にて相対することになります。

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当時の国分寺の客殿は茅ぶきの屋根で、真田昌幸は早くから此処へ到着し、徳川の使者を迎えた。

武装もせぬ昌幸は、わずか十五名ほどの共を従えたのみである。

 

ちなみに、今の国分寺はこんな感じです。立派です。茅ぶきではありません。

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そのうち、本多忠政と真田信幸も到着し、交渉が開始します。

真田信幸が、

安房守殿」

と、父へ呼びかけた。

「何でござる?」

「そこもとが石田治部少輔への義理立てもわからぬではないが、いまここでたがいに無益な戦をはじめてみても仕方のなきことと存ずる」

「ははあ・・・」

「いさぎよく、城を明け渡されてはいかが?」

「もしも、われらが城を明け渡したならば、何となさるな?」

「それは・・・」

と、本多忠政が割って入り、真田父子が東軍をはなれて上田城へ帰ったことは、戦後、いっさい不問に付すと言明した。

「それは、かたじけない」

真田昌幸が、本多忠政へ軽く頭を下げ、

「せっかくに、伊豆守殿がまいられたのじゃ。無下にもなるまい」

と、いい出たではないか。 

これには信幸よりも本多忠政のほうが興奮し、

「なれば、城を明け渡さるるか?」

と、身を乗り出した。

「よろしゅうござる。これなる伊豆守殿の面目を立てもそう」

と、いった。

「何と申される。では、城を・・・」

「はい、上田の城を明け渡すこと、承知つかまつった」

「す、すりゃ、真でござるか・・・」

「はい。わが子が使者にまいった故・・・」

「なれど、いささか、待っていただきたい」

真田昌幸のつぶやきを耳にして、本多忠政の顔色がふたたび緊張した。

「それがしも左衛門佐も、徳川勢の攻め来らば、すぐる上田攻めの折と同様に、おもうさま蹴散らしてくれようと存じおりまいたが・・・」

「む・・・」

「さればさ。この上田の城へ立てこもり、いさぎよく戦うつもりでおりましたなれば、城の内外がまことに見苦しゅうござる」

「ふうむ・・・」

「何日も汚れほうだいのまま打ち捨ておきまいたゆえ」

「なるほど」

 

いや、「なるほど」って。

ここはさっさと開城させるべきだよ。城が汚いとかどうでもいいよ。

交渉下手か。

 

「されば、明け渡すにつき、城の内外を塵一つとどめずに洗い清めた上、秀忠公へお引きわたし申したい。あまりにも、むさ苦しゅう汚れたままの城を明け渡し、これが真田の本城かと、皆みなに笑われても如何なものか・・・」

「もっともでござる」

本多忠政が、好意のうなずきを見せた。 

「では、三日ほど猶予が願いたい」

「かならず、三日の後に城を明け渡されるのでござるな」

「二言はござらぬ」

きっぱりと、真田昌幸がこたえた。

完全に「二言でござるフラグ」が立ちまくっています。

 

なお、信幸もその「二言でござるフラグ」には気付いていたようで、

(おそらく、父上は秀忠公の軍勢を、たとえ一日でも二日でも、でき得る限り、上田へ引きつけておくおつもりらしい)

その日数だけ、第二軍が決戦場へ到着するのを引きのばし、邪魔をするつもりなのだと、信幸は看て取った。

けれども、いま、この場において、真田信幸は、

「父が申すことは、嘘でござる」

と、口をさしはさむわけにもまいらぬ。

そのようなことをしては、正使の本多忠政の、

(顔を潰す・・・)

ことにもなってしまう。

正使の本多忠政が交渉成立によろこんでいるのを、副使の自分が、

「およしなされ」

とは、いえぬではないか。

いやあ・・・「およしなされ」よ。

お前も交渉下手か。

 

いずれにせよ、これで形式上は交渉が成立します。

使者の一行が国分寺を出て行くとき、真田昌幸は客殿の外まで見送ったが、信幸の顔を一度も見ようとはせぬ。

真田伊豆守信幸の片頬へ、わずかに苦笑がただよったのは、馬上の人となって国分寺を離れてからであった。

 

さて、小諸に戻った本多忠政は、事の顛末を秀忠に報告します。

徳川秀忠は、本多忠政の報告を聞くや、

「さようか」

満面の笑みをくずして、

「よし、よし。安房守が、おだやかに上田の城を明け渡すなれば、悪しゅうは計らわぬ。豆州(信幸)も安心いたすがよい」

と、いってくれた。

 

そんな安堵に包まれた徳川軍とは逆に、真田家ではこういう会話が繰り広げられます。

上田城へ引き上げて来た真田昌幸を迎えた左衛門佐幸村が、

「いかがでありましたか?」

「見せたかったわえ」

「何をで・・・?」

「伊豆守の顔をな」

「どのような・・・?」

「困りきっておったが、感心に口をさしはさまなんだわ」

「こなたの申し出でを、徳川の使者は受けいれまいたか?」

「尻の青い若僧がのう」

「忠政殿・・・」

「いかにも」

もう、徳川軍との約束を破る気満々です。

 

そして約束の三日目がやってきます。

本多正信徳川秀忠へ進言をし、物見の騎士たちを上田方面へさしむけてみると、城の清掃どころではない。

城下の町民たちを立ち退かせた後へ柵を設け、武装の真田勢が諸方の木戸を配備している。

城の櫓には六文銭の戦旗が翻っているし、城門を出た武装の部隊が何処かへ移動しつつあるではないか。

 

ほらー。

言わんこっちゃない。

 

そこで、徳川は「はよ、城を明け渡さんかい」という使者が出しますが、

真田昌幸は、こういってよこした。

「一時は、本城を明け渡すつもりでござったが、よくよくおもいみるに、亡き太閤殿下の御恩忘れがたく、この上は当上田の城に立てこもり、いさぎよく戦って討死をいたし、わが名を後代にとどめたく存ずる。西上のおついでに、ま、一攻め攻めてごらんあれ」

もう、完全に人をおちょくっています。

そして、その飄々とした感じがとても良い。

 

真田が上田を明け渡さないと分かった以上、徳川としては攻撃の準備を進める必要があります。

このとき、徳川秀忠は全軍をひきいて小諸を発し、上田の東方二里のところにある染屋の台地へ本陣を構えつつあった。

 

多分、大体こんな感じです。

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本多忠政・真田信幸の報告を聞いた秀忠は、

「ならばよし」

すぐさま、上田攻めの伝令を発した。

 

ここから第二次上田合戦が始まります。

 

ということで、次回は、第二次上田合戦について話を進めていきます。

 

(続く)

 

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