真田太平記をなぞる

なぞりながら解説

第一次上田合戦(2):ゲリラ戦、再び

ここまでの話の3行サマリー:

  • 徳川家に反抗した真田家に対して、徳川が一万の軍勢を派遣
  • 真田家が神川で奇襲をかけ成功
  • ヤッタネ!

 

というわけで、真田家の奇襲を受けた徳川軍、混乱を立て直し、神川を渡ります。

 

徳川軍の大半が神川をわたろうとしているし、鳥居部隊は、早くも川をわたり、堅固に陣備えをした。

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これなら、もう、大丈夫である。

真田昌幸の総軍は二千余だ。

そのうちの何割かが城外へ出て来たとしても、一万の徳川軍を防げるわけがない。

 

ところがどっこい。

再び奇襲が始まります。

 

徳川軍が神川をわたりかけたとき、対岸の上流から、岸辺の道を押し出て来る真田勢が見えた。

およそ、四、五百の部隊である。

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前回の奇襲が小規模だったのに対して、今回は五百ほど。

ただ、徳川家の側面を突いているとは言え、たった五百で一万を攻撃するわけなので、かなり無謀です。きっと「必死」だったのでしょう、

 

それは、旋風のような突撃であった。

長身の、黒い具足をつけた若い武将が槍をかざし、これを両側から七、八名の騎士がまもり、真っ先に川へ乗り入れて来た。

 

この「若い武将」というのは、真田昌幸の長男、伸幸。

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この写真は真田幸隆(昌幸の父、例の武田家の部長職)のものとされているので、伸幸の甲冑ではないものの、多分、こんな感じなんじゃないかと。

 

さて、ここから真田伸幸率いる五百による猛攻が始まります。

 

約五百の部隊が参加し、

「うわあ!」

喊声をあげて突き進む。

「それ!」

徳川軍も、これを迎え撃ったが、此処は広闊の戦場ではなかった。 

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ひろい戦場ならば、むろん、馬上にあって戦うのが有利である。

敵の徒士を蹴散らし、馬上から突き捲り、叩き伏せることができる。

しかし、いまは、せまく細長い道すじを突破して来る真田勢を、徳川の騎士たちは北面の斜面や木立に、いったんは避けねばならなかった。

南面は、すぐに千曲川である。

そこへ、兵を展開されるということは、川の中へ飛び込むことになるのだ。

千曲川は、神川とくらべものにならぬ大河であった。

 

地図で見る千曲川

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 近くで見る千曲川

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確かに「神川とくらべものにならぬ大河」です。

 

で、ここからは徳川軍が、

 

千曲川まで追いやられたらヤバイ、押し返せ!」

「よし、押し返したぞ!攻めろ!」

「あっ、また真田の奇襲だ!」

 

みたいな状況が暫く続きます。

 

そんなゲリラ戦を繰り返した真田軍ですが、軍を引き始めます。

 

「あっ・・・・・・」

徳川軍が、呆気にとられた。

いままで、猛烈に突き込み、本体へ襲いかかかっていた真田勢が反転するや、退却にかかったからである。

駆けもどって来る真田勢を迎え撃とうとするとき、源三郎伸幸を先頭に、真田勢が北側の斜面へ折れ曲がって行く。

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ただの斜面ではない。

雑木林や、道もついていない赤土の、すべりやすい斜面なのである。

 

今でこそ舗装はされていますが、かなり急斜面です。 

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なお、私、駅前で借りたチャリで移動していたのですが、この坂は手押しで登りました、というぐらいの急斜面です。その上に赤土なわけですから、相当大変です。

 

その相当大変な中、徳川軍、頑張って追いかけます。

そして、この急斜面を登ってみると、

 

迫撃する徳川軍の前に視界がひらけてきた。

なだらかな段丘の彼方に、敗走する真田勢が、はっきりとのぞまれる。

 

「なだらかな段丘」です。

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「蒼き衣を纏いて金色の野に降りたつべし」感がすごい。

 

という、一連のシーンを再現してみました(継続対応中・・・)。


第一次上田合戦@神川(20200126版)

 

こうして真田信幸の奇襲は成功したわけです。

さて、この緒戦の結果はどうだったかと言うと、

 

神川の奇襲で、徳川軍が受けた損害は、死傷合わせて四、五百にのぼっていたろう。

あとでわかったことだが、真田勢の損害は意外にすくなかった。 

 

ただ、徳川家からしてみれば失った兵力は一万のうち五百。まだ問題なく戦えます。

 

徳川軍は、隊伍をととのえ、一手は千曲川に沿った往還から常田口を突破した。

これを指揮するのは、鳥居元忠である。

大久保忠世の本体は、染屋口から上田城下へ迫った。

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「常田口が破れまいた」

「染屋口も、破れてござる」

と、物見の報告が上田城へとどいたとき、安房守昌幸は、本丸居城の主殿で、家臣の禰津長右衛門を相手に、碁を打っていた。

昌幸は、まだ、具足もつけていない。

「いよいよ、来たか・・・・・・」

白い碁石をつまんでいたのを、ひょいと碁盤の上へ置き、

「長右衛、これまでじゃ」

と、いった。

立ちあがった真田昌幸を待ちかまえていた家来たちが、具足を着せかけた。

伊予札の黒糸縅胴丸の具足で、草摺に金箔で六文銭の家紋が捺してある。

少年用かとおもえるほどに小さな具足を昌幸はかるがると身につけ、月輪の前立のある梨打の兜をかぶった。

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これは大河ドラマ真田丸で使用されたやつらしいのですが、大体こんな感じかと思われます。

 

で、具足をつけながら準備をしていると、

 

新しい物見の武士が主殿へ駆け込んで来て、

「源三郎様が、染屋口から御城へ向かって、引きあげてまいられるそうにござります」

大声に告げた。 

昌幸の側にいた家来たちが、源三郎の無事を知って、よろこびの声をあげるのへ、安房守昌幸が、むずかしい顔つきで、

「さわがしい。しずかにせぬか」

と、叱った。

「はっ」

家来たちは、押しだまったが、どの顔も笑っている。

こらえきれぬ笑顔であった。

 

そりゃそうですよね。

一万に対して五百で臨んだわけなので、誰もが「もしかしたら・・・」を覚悟していたはず。

 

さあ、先制攻撃で勝利した真田家。

次は上田城で徳川軍を迎え撃ちます。

 

次回はそこらへんの話をしていきます。

 

(続く)

  

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