第一次上田合戦(前段)
池波正太郎の真田太平記をなぞりながら、実際の写真と共に事実の掘り下げを少しだけ行うブログです。
よろしくお付き合いください。
まず、真田家の成り立ちについてスーパーざっくり説明してみたいと思います。
- 真田幸隆という人が長野県にいた。勤務先は武田家。ポジションは部長ぐらい。
- 幸隆が死ぬ。なんだかんだあって昌幸が真田家を継ぐ。
- 武田信玄が死ぬ。息子である武田勝頼が跡を継ぐが、なんだかんだあって織田家に潰されてしまう。
- 武田家滅亡により、真田昌幸、いきなり無職。なんだかんだあって、地元に戻って独立。
以上、真田家のざっくり説明です。
次に、真田家が、当時どういう立場だったのかを軽く説明しておきます。
真田昌幸がいた地域は、下図の通り。名だたる強豪たちに囲まれています。
ここらへんの地域は元々、武田家が支配していたのですが、武田家が滅亡したことで、いきなり広大な空白地帯ができたわけです。
そこで、この空白地帯狙いに、各強豪たちがここの地域抑えるべく動き始めるわけです。
さて、そんな中、真田家は、「さすがに自分たちだけの力では生き残れない、どこかの傘下に入らないと・・・」ということで、織田家の傘下に入ります。これで一安心。
ただ、直後に一大イベントが発生します。
本能寺の変です。
今までは、織田信長が天下を統一すると誰もが思っていた。
だから、とりあえず織田家についておけば死ぬことはない。
ところが、その第一人者がいきなり表舞台から消えた。
これにより、
「織田さんいなくなったけど、誰につけばいいの?」
「というか、むしろ自分の領地が攻められるんじゃないか・・・」
全員が疑心暗鬼になり、一触即発モードになります。
そんな不安定な情勢の中、真田家は上杉の傘下に入ります。
ただ、その後「やっぱやめた、北条と手を組む」「やっぱり徳川にするわー」と、二転三転します。
なお、徳川家の傘下に入る際には、徳川家にこう持ちかけます。
「徳川さん、おたく、上杉家と北条家とあんまり仲良くないじゃないですか。なので、そっちの戦いに集中してください。代わりにうちが上杉家を牽制しておきますよ。ただ、うち、上杉を抑えるための実力ないんですよ・・・城建てるんで支援してもらえないですかね?」
(先ほどの図)
徳川からしてみれば、隣国の北条家の方が圧倒的な脅威なので、真田家が上杉を抑えてくれるのはありがたい限り。
そこで資金援助が行われ、上田城が完成します。
ただ、そう思ったのも束の間、今度は徳川家と北条家が同盟を結びます。
その際に北条家から徳川に提示された条件というのが「真田家が所有している沼田を差し出せ」というものでした。
この沼田城、北条家目線で言えば、上杉家を牽制する上では地政的に抑えておきたい要衝です。さらに、過去何度か沼田城を攻略しようとしたのですが、失敗したり、奪い返されたりと、北条からすると目の上のタンコブ的な場所。
その北条家からの条件に対して徳川家、こうなります。
「あれ?沼田城って真田家の城だよね?さすがに真田家から勝手に取り上げて北条に渡すのはまずくない?・・・ま、いっか!真田家には城建ててあげたし、後付けで言いくるめちゃえば」
ということで、真田家との合意なく、北条家の条件を飲んで同盟を結んでしまいます。
真田昌幸、これを聞いてビックリ。
「いやいや、すごいな、そのジャイアニズム」
と、徳川からの使者を追い払います。
それに対して徳川家、
「のび太真田家のくせに生意気だぞ!」
・・・と言ったかどうかは知りませんが、一万の大群を真田家の上田城に送り込むことにしました。
一方の真田。どう頑張っても兵が二千しか集まらない。ヤバイ。
まずは、過去に裏切ったことのある、上杉景勝の元へ傘下に入れてもらうようにお願いに行きます。ここらへんは以下、真田太平記の動画が分かりやすいです。
ということを踏まえ、真田家は上杉家の傘下に入ります。
さらに、多少ですが、上杉家から兵を借りることにも成功しています。
以上のような背景を元に、第一次上田合戦が勃発します。
(続く)